首大佛様

鈴木達志

2010年02月15日 07:30








『首大佛様』

江戸時代の半ば和歌山城下の武家屋敷で仲間として奉公する一少年あり、若いにも拘らず常に手に数珠を携え、口には念仏唱名の熱心な求道者であった。
二十歳をすぎた頃、出荷の志を立て故郷の大橋村(現在の日高郡南部川村)の菩提寺萬福寺で剃髪出家の儀式を受け、京都の本山に登嶺、三年間の修行にて浄土宗の僧侶となり連心(1699~1768年)と名のる。
二年後和歌山へ帰り着き納定の一庵(後に大福寺と称す、跡地に宮北小学校が建っている)に住す。庵にて念仏修行中、一丈六尺に及ぶ仏様を目の前に拝む。その奇譚を村人に語ると連心和尚の為ならと衆力により露座唐金の丈六仏ができ上がった。その時の連心は三十歳位と推定される。以後納定の地から丈六仏を中心に高声念佛がひときわ響き、大変なにぎわいを見せた。
連心滅後、六十七年目に丈六佛の隣の本堂が火災、丈念佛も炎上。一時は悲観に暮れた村人も再興を発願、第二代は鎌倉の大佛様を目標にと先ず毘蘆舎那佛のお首だけうぃ溶銅で鍛造、天保十一年(1840年)七月二十四日開眼大法要が営まれた。御首に佛体を継がんことを度に企てられるも、世勢の騒櫌に思うに委せず、大福寺の伽藍も安政元年の大地震で全部壊滅に帰してより寺の維持も困難となり遂に明治四十一年(1908年)廃寺、首大佛は本寺である無量光寺に安置され、爾耒納定の時代と同様温容を以て慈悲忍辱の恵みを参詣者に垂れ給うのである。



はじめ見たときには、驚きました。
だって首だけなんです。
「何なんだ???」という感じ(笑)。
それにしても、大きな御顔です。
さすがに、境内に入ると存在感がひしひし…














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