2006年10月14日
富貴野山
快晴の宇久須を午後出発。松崎の富貴野山へ行って来ました。

下田街道から折れて、清流の流れる横を登り、頂上へ。立派な駐車場があります。
展望台にある東屋からは駿河湾が一望。
暫し、見とれていると「コンコンコン、ガッガッガッ」とアカゲラのドラミングが聞こえてきます。
音のする方は、私たちのいる目の前の木・・・。
見上げれば、わずか3メートルの距離にアカゲラがいました。
私もこんなに近くで観察できたことはありません。
感動です!
歩いて2分で富貴野山宝蔵院という、弘法大師の由緒ある寺院があります。
周りには21世紀の森ということで、いろいろな散策コースが設定されていましたが、
残念なことに手入れが数年されていないようで、荒廃していました。
キノコのコースを歩いてみましたが、ほだ木は腐りキノコも跡形もなし、名ばかりのコースト変貌しています。
非常に残念ですね。行政でせっかく大金をかけて作ったもの・・・続けていかねばお金の無駄です。お客様が訪れなければ止めてしまう・・・そんなものではダメなのではないでしょうか?
素晴らしい自然環境の場所なので残念に思います。
作っただけ・・・管理もしない・・・。
もったいないです。それならば最初から作らなければいいのに・・・。
それではただの自然破壊と言えるのではないでしょうか。
コンセプトデザインが無かったようですね。
夕食がてら宇久須の「かねじょう」さんに行って来ました。
安良里のイルカの歴史的資料をお借りしており、お返しがてらです。
今夜も美味しくいただきました。
甘エビは生で最高!頭と尻尾は焼いて食べれば、これまた格別です。
お薦めですよ。
イルカ漁の資料ですが、素晴らし文献で安良里村のイルカ漁に対する考え方や利用の仕方など、なるほどと納得できました。
現在はイルカを食べることなど、一般の方には想像もできない事でしょうが、生活に必要な糧としてのイルカ捕獲は、私にとって理解できることです。
イルカは水族館で見るもの・・・癒しの対象としての生きもの・・・という概念が定着している現在ですが、このようなイルカ漁の経緯も歴史として考えなければならないと感じています。

下田街道から折れて、清流の流れる横を登り、頂上へ。立派な駐車場があります。
展望台にある東屋からは駿河湾が一望。
暫し、見とれていると「コンコンコン、ガッガッガッ」とアカゲラのドラミングが聞こえてきます。
音のする方は、私たちのいる目の前の木・・・。
見上げれば、わずか3メートルの距離にアカゲラがいました。
私もこんなに近くで観察できたことはありません。
感動です!
歩いて2分で富貴野山宝蔵院という、弘法大師の由緒ある寺院があります。
周りには21世紀の森ということで、いろいろな散策コースが設定されていましたが、
残念なことに手入れが数年されていないようで、荒廃していました。
キノコのコースを歩いてみましたが、ほだ木は腐りキノコも跡形もなし、名ばかりのコースト変貌しています。
非常に残念ですね。行政でせっかく大金をかけて作ったもの・・・続けていかねばお金の無駄です。お客様が訪れなければ止めてしまう・・・そんなものではダメなのではないでしょうか?
素晴らしい自然環境の場所なので残念に思います。
作っただけ・・・管理もしない・・・。
もったいないです。それならば最初から作らなければいいのに・・・。
それではただの自然破壊と言えるのではないでしょうか。
コンセプトデザインが無かったようですね。
夕食がてら宇久須の「かねじょう」さんに行って来ました。
安良里のイルカの歴史的資料をお借りしており、お返しがてらです。
今夜も美味しくいただきました。
甘エビは生で最高!頭と尻尾は焼いて食べれば、これまた格別です。
お薦めですよ。
イルカ漁の資料ですが、素晴らし文献で安良里村のイルカ漁に対する考え方や利用の仕方など、なるほどと納得できました。
現在はイルカを食べることなど、一般の方には想像もできない事でしょうが、生活に必要な糧としてのイルカ捕獲は、私にとって理解できることです。
イルカは水族館で見るもの・・・癒しの対象としての生きもの・・・という概念が定着している現在ですが、このようなイルカ漁の経緯も歴史として考えなければならないと感じています。
Posted by 鈴木達志 at 19:09│Comments(0)
│松崎情報
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