2009年11月01日

鎮西八郎射ぬきの石

鎮西八郎射ぬきの石




鎮西八郎は源為朝(みなもとのためとも)。
平安時代末期の武将で弓の名手として知られています。
鎮西を名目に九州で暴れまわり、鎮西八郎と称したそうです。
保元の乱で鳥羽院・後白河天皇側として源義朝配下で白河殿を攻撃したが敗れて伊豆大島へ流刑。
なんとその伊豆諸島をも支配するという豪傑ぶり。
さらに切腹自殺の史上初の人でもあります。
伊豆大島には為朝の碑もあり親しまれているそう・・・
そんな人が放った弓矢が岩をも貫いたという伝説。
さもあらん..と思えてくるから不思議です。




【看板より引用】
 「豊後国志」巻之七「角埋山」の項によると、久寿年間(1154~56)に源為朝(ためとも)が城を角埋山に築きこれに拠る、とあります。為朝は13歳の時、父に追われ九州に勢力を張り、調停の召還にも応じませんでした。
 為朝は強弓の名手として名高く、向いの岩扇山から射た矢が、この石を貫いたと言われています。









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